歴史探求!樹齢百年以上の楠の森と護良親王をお祀りする神社
「鎌倉宮: 前編」
鎌倉宮にもうでては
尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに
悲憤(ひふん)の涙わきぬべし
唱歌、鎌倉の6番に歌われている鎌倉宮と護良親王(もりながしんのう)。
自分が小学生の頃に訪れた時、引率の先生から護良親王の説明を受けてから、
いまでも大変印象に残っています。
40を過ぎた今、再度思い出の地を訪れてみました。
今回は長編になってしまったため、2部構成でお届け致します。
鎌倉宮とは、護良親王を祭神とする神社であり、明治天皇により明治2年、
建武中興に尽くされ非業の最期を遂げられた護良親王に想いを馳せられ、
東光寺跡に鎌倉宮は造営されました。
護良親王は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物で後醍醐天皇の皇子です。
大塔宮(おおとうのみや)と呼ばれました。
討幕運動である元弘の乱を起こし、自ら参戦し京都の六波羅探題を滅ぼして、
建武の新政では征夷大将軍に任じられました。
しかし、討幕の功労者足利尊氏とは相容れず、
また父の後醍醐天皇とも反目したため、
皇位簒奪を企てたとし(濡れ衣であると考えられている)、捕らえられて鎌倉に送られ、
足利尊氏の弟足利直義の監視下に置かれました。
北条時行の中先代の乱が起き、関東各地で足利軍が北条軍に敗れると、
東光寺に幽閉されていた護良親王は、時行に奉じられる事を警戒した直義の命を受けた淵辺義博に殺害されました。
この日はあいにくの雨でしたが、自分だけでしょうか、
雨がしとしとと降る緑多き神社は、大変趣があると思います。
入り口の鳥居をくぐると、右手に厄割り石があります。
私自身、42歳で後厄なので、初穂料を納め早速行いました。
盃に大きく息を吹きかけ、石めがけて投じましたが、、、
雨のため傘をさしながらなげた盃は、石から大きくそれ全く割れず。。。
仕切り直しをし、もう一度初穂料を納め、きちんと石にあて厄を祓いました。
参道をしばらく歩きますと本殿です。
こちらは撮影禁止のため、外観のみの写真と、
社務所で授与できます獅子頭守の写真になります。
大変迫力がある、巨大な獅子頭守が迎えてくれました。
ご祭神の護良親王が戦の時に、兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせ、
自らの無事を祈った事が由縁となっているそうで、鎌倉宮の創建当初からのお守りだそうです。
また、獅子頭は古くから「厄(悪いもの)を食べ、幸せを招く」と言われているそうです。
本殿の右手には村上社があり、身代わりさまがいらっしゃいました。
身代わりさまとは、護良親王の忠臣の村上義光公であられます。
吉野城落城の折に、親王の鎧を着て自ら身代わりになられ、親王を落ち延びさせた方です。
初穂料を納め、こちらの身代わりさまに、厄や病気などの身代わりのお願いを記入して納めます。
もちろん自分も、身代わりさまに無病息災を御願いさせて頂きました。
(高血圧、通風、座骨神経痛。。。自分の節制が一番大事なようですが。。。)
と、前編はここまでになります。
おもに鎌倉宮の御由緒を紹介させて頂きました。
後編は、いよいよ護良親王が幽閉された土牢、
癒しと数々の史跡がある神苑を紹介させて頂きます。
鎌倉宮
住所:神奈川県 鎌倉市 二階堂 154番地
電話番号:0467-22-0318
URL:http://www.kamakuraguu.jp

東京は下町の勝どきで生まれ育った、SHONANに憧れる中年男子。
40を過ぎ中年太りが止まらない今、ダイエット?と趣味をかねて湘南地区に出没中。
歴史と盛り場を愛してやまない、そんな自分が発信いたします。
URL: